<Header>
<Author: 陳子昂>
<Title: 送著作佐郎崔融等從梁王東征>
<Format: 格式不明>
<Year: 1964>
<BookName: 唐詩選　上>
<Translator: 斎藤晌>
<style: 漢文無假名>
<style2: 日本漢文訓讀無假名標注>
<TranslatedTitle: 崔著作が東征するを送別す  >
<BookPage: 175>
<UsedPage: 1>
<Feature: 6>
<End Header>
<Poem>
金天方肅殺，
白露始專征。
王師非樂戰，
之子慎佳兵。
海氣侵南部，
邊風掃北平。
莫賣盧龍塞，
歸邀麟閣名。
<End Poem>
<Translation>
秋の空は冴え草木が枯れしぼむとき、白露のおりる七月、天子は蠻族の侵入を撃退 させたもうことになった。しかし樹勅命によって出陣する軍隊というものは決して侵略主義を目的とするものではない。だから諸君も好戦的な氣分にならないでもらいたい。東北の海の氣が南方にある官軍の陣營にせまってき、邊塞の風が起こって北平の地方を吹きはらい、外敵がぞくぞくと侵入してきている。だから、やむを得ず軍隊を動員してこれを防とうというのだ。むかし後漢の末に、蛮族の烏桓がこの地方を攻撃して漢人の大虐殺をした。曹操の軍が討伐にあたることになった。建安十二年八月、この土地の人で田疇というものが先導して間道を教え、鳥桓の根據である盧龍塞を急襲させた。その結果、討伐軍が大勝利を得たので、曹操は田疇を侯爵に封じて領地をあたえようとした。田疇はそれを聞くと、「豈、盧龍の塞を賣りて以って賞祿に易ふ可けんや」といって一切の賞祿を固辭したという。田疇にしてみれば、外敵の侵入に荒らされた祖國を恢復するという一心でしたことで、その目的が達せられたらよいので、特別その報酬を要求する氣はなかったのだ。諸君もそれくらいの心意氣があってよい。あっぱれ功名手柄をして麒隣閣に姓名を錄してもらおうなどと思わないでもらいたい。
<End Translation>